人生の成功を投げ打って、一人の霊的教師の出現のニュースを広めることにその生涯の20年間(*1995年現在)を費やすような人がいるなんて、信じられますか? イギリスの高名な画家、ベンジャミン・クレームはまさにそうしているのです。

画架はほこりが積もるに任せて、彼は新しい時代のための世界教師マイトレーヤの到来を告げながら世界中を巡っています。「大師は今、ここにいます。彼は事実キリストであり、イマム・マーディであり、第五代仏陀であり、すべての主要な宗教で待っている方なのです」と、告げて歩いているのです。

「1975年に私が講演を始めた時には、彼の公の出現にこれほど時間がかかるとは思ってもみませんでした」とクレーム氏は笑います。「私はすぐに自分のアトリエに戻れるだろうと思っていました…しかし1959年に私がこの仕事をする内的な誓いを立てーその時初めて私はキリストの再臨についてある役割を果たすよう要請されたのですがーそれ以来、私のこの仕事はいまだに続いています」

この現代の予言者にはどんな肩書がふさわしいのでしょう? 「洗礼者ベン」を取材したジャーナリストの多くがこんな皮肉を言います。「少なくともこの男から中古車を買っても大丈夫なのは間違いないでしょう」。彼の白髪、落ちついた声、そして強烈なウィットは、大好きなおじさんを思わせます。クレーム氏自身が真先に指摘するように、彼の話を信じなければならない理由は何もなく、彼が言うように、「もしそれがあなたにとって真実の響きを持たないならば無視してもかまわないのです」。

本人が述べる自らの生い立ちを見てみると、氏は若い頃から秘教哲学の様々な側面を学び、その時に、神智学運動の創始者であり、チベットで智恵の覚者たちと共に住み、働いたことがあるというヘレナ・ブラヴァッキーの教えを知ったのでした。19世紀後半にその書物を通して、ブラヴァッキーは初めて世界に霊的ハイアラキーの存在を明らかにしました。それは悟りを開いた方々のグループであり、世界の高山や人里離れた砂漠に住み、この惑星のための神聖なプランの管理人である、完全なる覚者たちのことです。

1959年1月のある夜、クレーム氏は風呂から上がったとき、ハイアラキーのメンバーからのテレパシー的な接触を求めていたわけではなかったし、予想もしていなかった。しかし彼の頭の中にはっきりとある声が聞こえ(その声はヒマラヤに住む覚者のものであると告げられた)、それから連絡が始まった。何週間かテレパシー交信の訓練を行った後、クレーム氏は覚者の中の覚者、マイトレーヤご自身、キリストであり、世界教師である方に話しかけられた。その方は言われた、「今から約20年以内に、私自身がやって来る。そして、もしあなたがそうすることを選べば、あなたは私の帰還にある役割を果たすようになるだろう」。クレーム氏はそれに心の中で同意したが、そのことは長い間完全に忘れていた。

クレーム氏の訓練は彼の師(覚者)の指導の下で1970年代の初めまで続けられ、1日に20時間もの激しいペースで進められた。その結果(クレームは公に話をすることは気が進まなかったが)彼は懐疑的な世界に向かってキリストの再臨を告げるという彼の来るべき役割のために準備を整えさせられた。そして同時に彼は、師との間に築き上げられた絶え間のない二方通行のテレパシーによる関係に基づいて、彼の師である覚者のための「世界への窓口」ともなった。「私が見聞きするものすべてを、師も見聞きされます。彼が望めば、私の眼差しとなり、私の触る手は師の手となります。それゆえ師は癒し、教えることができるのです。同時に師ご自身は、完全なる肉体をもって、何千マイルもの彼方にそのままおられるのです」とクレームは説明する。

この絶え間ないテレパシー的交流のために、クレームはまた、マイトレーヤの出現の進展に関する日付を正確に知ることができる。彼によれば、それは1977年7月7日に始まったという。クレームは言う、「キリストは降臨を開始されました、『天』からではなく、ヒマラヤの高所から。彼はマヤヴィルーパと呼ばれる不滅の光体をもって、この世に肉体的に存在しています。その肉体は、再臨に先立つ6年間にわたって創られました。それは外見上は普通の肉体ですが、自分の意志に従って現れたり消えたりすることができ、彼の望むどんな外見でもとることができます。パキスタンの平地で数日間御自身を新風土に馴らされた後、世界教師は飛行機に乗ってヒースロー空港に行き、1977年7月19日、イギリス、ロンドンのインド-パキスタン系社会に住む普通の男として居を構えました。クレームによると、マイトレーヤはそれ以来ずっとそこに住んでおり、宗教の指導者としてではなく、政治経済問題、とりわけ北と南の国家間の経済的不均衡に関心を寄せる現代の教師として暮らされている。彼がすべての人々の前に姿を現すリズムは、人類が彼をすすんで受け入れる用意にかかっている。それに応じて、分かち合いと社会正義を呼びかけるスポークスマンとして、マイトレーヤは彼の選ばれた地域社会の中で徐々に御自身を公にされてきている。彼はまた他の場所に奇跡的に姿を現すことも始めた。例えば、1988年6月にケニアのナイロビで行われた祈りの集会に、彼は忽然と姿を現し、6,000人が瞬時に彼をキリストと認知したのである。

クレーム氏によれば、マイトレーヤは世界的人物たちと会っており、1988年の初め以来ロンドンで核となるジャーナリストたちを準備しているということです。また今や、政府の指導者からテロリストに至るまで、世界中の人々に夢の中で、ビジョンとして、また実際の人間として姿を現しておられます。「ベルリンの壁の崩壊から、西側世界での大規模な汚職の発覚まで、一見突然に起こったように見える時代の変化の背後にあり、この惑星全体に注がれているものこそがキリストのエネルギーに他ならないのです」とクレーム氏は断言します。彼は現在も公開の講演会とメディアヘの働きかけの多忙なスケジュールをこなし続けています。クレームは招待に応じて講演し、報酬は一切求めません。彼の講演は今や東西ヨーロッパ、合衆国、メキシコ、カナダ、日本、オーストラリア、そしてニュージーランドで行われています。また彼は合衆国とカナダだけでも250を超えるラジオ、テレビ、のインタビューに応じています。「私はキリストと、いわゆる『面と向かって』お会いしたことはありませんが、私は彼がどこに住んでいるか知っており、肉体を離れて彼のもとに何度か連れて行かれたことがあります」、クレーム氏は語ります。「彼の住む場所を指し示すのは私の役割ではなく、メディアの役割です。すべての人類のために行動し、彼を探し出して、世界の衛星中継ネットワークを通して私たちに語りかけるよう招待することはメディアの動きにかかっています」。クレーム氏によればマイトレーヤは1991年9月29日と1992年1月26日にメキシコで600~800人のグループの前に姿を現し、再び3月1日にロンアで行われた集会で600人ほどの人々の前に現れ、それぞれ約25分間、その国の言葉で、ご自身の計画と人類への希望を語られたということです。人類の自由意志を妨げるのではなしに、人類の招きに応じて、マイトレーヤの大規模な出現が増えていくにつれ、一般大衆からの圧力によってメディアはこの話を調査し、彼らの知っていることを明らかにすることを強いられるだろうとクレーム氏は考えています。「私の仕事は一般の人々に最初のアプローチをすることによって希望と期待の風潮をつくり、その中でキリストが出て来られるようにすることです。私はこれがすべて突拍子もないことのように聞こえることを承知していますが、私は自分が正しいことを知っており、私は狂人ではなく、これがすべて真実であることを知っております」(1995年)

ぺーター・リーヘバー〔アムステルダム〕
・ジャーナリスト歴30年。オランダ最大の新聞テレグラフの記者を20年間務めている。
・現在テレグラフ紙でアムステルダムや他のヨーロッパ諸国の首都における演劇の主任批評家。以前は長年国会で政治欄の主筆を務めていた。
・クレームの情報を3年間調査・追跡し、「この話が本当であることに全く疑いの余地はない」と確信するに至った。
ミック・ブラウン〔ロンドン〕
・ロンドンの新聞ガーディアン紙でキャリアをスタートし、後にサンデー・タイムス紙の「市民のページ」欄を担当する。現在デイリー・テレグラフ紙のコラムニスト。
・タイムズ紙にいるときに調査・報告を始めた。BBCラジオでこのテーマについてのドキュメンタリーを制作し、1992年4月9日に放送された。
・この物語についてのコメント、「もしこれが本当だとすれば関わり合わないわけにはいきません」。
ジョプ・ムツンギ〔ナイロビ〕
・20年間ケニアでジャーナリストを務める。現在ケニア・タイムズ・メディア・トラストの経営部長。
・1988年6月11日、マイトレーヤがナイロビに現れ、彼をキリストと認知した数千人の人々に話しかけるマイトレーヤの様子が写真に撮られた時、現場にいた。この出来事はCNNを含む国際的なメディアによって報道された。
・この出来事が起こる前、彼はマイトレーヤについては何も知らなかったが、現在彼は言う、「彼(クレーム)の情報について2、3年間調査・追跡しましたが、この話は本当だと思います」。
ジャック・キスリング〔デンバー〕
・1968年デンバー・ポストの編集員となり、後にポスト・サンデー・エンパイア・マガジンの記者となる。現在同誌のコラムニスト。
・1982年初めてこの話に興味を持つ。クレーム氏への彼のインタビューは過去9年間にわたってポスト誌に掲載されてきた。
・コメント「クレーム氏がメシアの使者であるかどうかは推測するしかありませんが、彼の探究が真剣なものであることは事実です」。
シェリーラッセル・ソルムズ〔オタワ〕
・1989年以来カナダ放送協会のジャーナリストを務める。
・1990年7月、CBCの有名な全国ネットのラジオ番組「アイディアズ」のためにロンドンでこの話の調査を行う。彼女の2部構成のドキュメンタリー番組は1990年の終わりと1991年の初めに放送され、以来何度も再放送されている。
・この話に関しては非常に懐疑的だが、ジャーナリスティックな感覚から、完全に無視しているわけではない。「事態の進展を待っています」。
パトリシア・ピッチョン〔ロンドン〕
・コロンビアの日刊新聞であり、ラテン・アメリカン・ニュースレターズの報道代理店である「エル・ティエンポ」でキャリアをスタートする。現在はフリー・ジャーナリストで「ガーディアン」誌と「デイリー・テレグラフ」紙に寄稿している。
・1984年、他のジャーナリストと共にロンドンのブリックレーンを訪れた時、初めてマイトレーヤに会う。1988年以来マイトレーヤの側近の一人にインタビューを行っている。マイトレーヤの霊的教えと共に世界情勢についての予測と解説を含む情報は、定期的に世界のメディアに発送され、シェア・インターナショナル誌を通して一般の人々にも提供されている。
・ピッチョンは言う、「マイトレーヤは世界の前に姿を現され、彼のメッセージをすべての人々にテレパシーで同時に伝えようと提案されました、しかもそれぞれの国の母国語で! これは非常に具体的な提案です。彼にそれができるかどうか見てみるべきだと思います」。
クレメンス・キュービイ〔ミュンヘン〕
・映画プロデューサー/ディレクターで、1987年度「全国ドイツ映画大賞」受賞者。
・1990年ロンドンで世界教師出現をめぐる人々と出来事についてのドキュメンタリーを制作。
ブライアン・ジェームス〔マンチェスター〕
・BBCテレビの社会派ドキュメンタリーのプロデューサーを長年務める。そこで彼はクレームの話について調査を始める。
・現在は独立し、インタビューを通して取材を続けており、その記事は国際的メディアに発送されている。
・コメント「これは史上最大のほら話か特ダネかのどちらかだ」。
キャスリーン・アサール〔オークランド〕
・ニュージーランド・ラジオのラジオジャーナリスト。様々な分野から著名人を招いて送る第一級の、全国の時事問題を扱う番組のホスト役を務める。
・ベンジャミン・クレームのニュージーランドでの講演旅行の際、3回とも彼にインタビューを行った。
・クレームの話について彼女は言う、「この話が本当であるという可能性がある限り、ジャーナリスティックな注目に値します」。