3.これまでとは違う政治―強まる民衆の声

モンテ・リーチ(ML):
私たちは確かに過去数年間,民衆の声を聞いてきましたが、おそらく最も劇的だったのは東ヨーロッパと旧ソ連だったと思います。しかし同時に多くの地域において人々の声はかき消されてきました・・・ユーゴスラビア、ソマリア、リベリア、ハイチなどでは社会的、政治的秩序が崩壊しました。今日の世界情勢におけるこれらの一見矛盾した傾向を私たちはどのように解釈すればよいのでしょう?

ベンジャミン・クレーム(BC):
私たちが見ているものはすべて強力なエネルギーに対する私たちの反応の結果ですが、そのエネルギーの源は主に宇宙にあり、人類に作用を及ぼしています。これらのエネルギーは様々な反応を呼び起こします; 人類は均一に反応しません。私たち各々が、個人的であれ、国家的であれ、自分自身の分離した利益、野心、欲望に条件づけられた反応をします。そこで現在表面化している過剰な国家主義的運動や民族主義的要求が起こってくるのです。

マイトレーヤと彼を長とする霊的ハイアラキーの観点から見ると、これらの運動や要求は流入しているエネルギーに対する正当なしかし歪んだ反応です。このエネルギーは今世界に蔓延している自由への欲求を生じさせます。この欲求がソ連や中国やルーマニアのように抑圧的な政権を倒す行為として表現された時には喝采され、ユーゴスラビアのように同胞殺しや残虐行為や戦争として表現された時には当然ながら非難されます。同じエネルギーが異なった反応を生み出すのです。

モンテ・リーチ(ML):
世界の一般的な政治的傾向はこれらの新しい影響を受けて前向きなものになっていると言えるでしょうか?私たちは正しい方向に向かっているのでしょうか?

ベンジャミン・クレーム(BC):
短期的にはノー、長期的にはイエスです。もし私たちに外部からの助けがなければ、人類は八方塞がりになるでしょう。なぜなら私たちが現在行っていることはほとんどすべてが政治的にも経済的にも社会的にも間違った方向に向かっているからです。私たちの行為は必然的にこの文明を崩壊へと導くでしょう。今の政治的、経済的、社会的機構のすべてはますます商業主義に基づいてきており、その手段は市場のフォースです。現在の世界における主要な‘神’は市場であり、すなわち競争であり、それは貪欲に基づくものです。この方法は人類とこの文明を自己破壊の瀬戸際まで追い詰めています。主マイトレーヤと彼の覚者方のグループのこの世における臨在がなければ、人類の未来は非常に寒々としたものとなったでしょう。私は非常に明るい未来を確信していますが、それは私たちが賢明だからではなく、覚者方が賢明だからです。

モンテ・リーチ(ML):
つい最近まで、冷戦の終結などによって政治状況は非常に明るいもののように思われました。ところが何が起こったのでしょう?

ベンジャミン・クレーム(BC):
それは政治的圧力ではなく、経済的圧力です。今日の世界における主要な分割は経済の分野においてです。私たちは今三つの大きな全体主義の終わりを目撃しています。政治、経済、そして宗教的全体主義です。私たちは旧ソ連のゴルバチョフ大統領によるグラスノスチ、ペレストロイカ政策(これはマイトレーヤのインスピレーションと指導の下に行われたといえますが)によるソ連の開放とともに政治的全体主義の崩壊の始まりを目撃しました。これは世界に全く新しい状況をつくり出し、他のグループが自由へ向けて同様の行動を取るのを鼓舞しました。これは政治的全体主義の終わりの始まりです。

経済的全体主義はまだ世界を牛耳っています。この全体主義の主な擁護者はG7と呼ばれる、アメリカを先頭とした先進工業国です。先進国は世界の食糧の4分の3と他の資源の83パーセントを強奪し、貪欲に浪費しており、世界人口のおよそ4分の3が住む第三世界では4分の1の食糧と17パーセントの資源でやっていかねばなりません。世界人口の4分の3がこの状況にいつまでも甘んじていることを期待することはできません。この経済的不均衡が世界を経済的破滅の淵に導いています。

モンテ・リーチ(ML):
あなたは経済状況が鍵だと言われますが、それはどのように今の世界情勢と関係するのですか?例えば、ゴルバチョフ氏は国連主催による世界政府を要求しました。これが起こると思いますか?

ベンジャミン・クレーム(BC):
確かに国連の力は強まると私は思っていますが、国連の支配下での世界政府を予想してはいません。世界の諸国家はあまりにも分離的で個人主義的すぎ、世界政府として共に働くにはあまりに自分たち独自の特質に支配されすぎています。しかし国連はますます議論の場となっていくでしょう。これらの違いから生じる諸問題は、もはや武器によってではなく、議論を通して徹底的に検討されるようになります。また私は国連が世界各地における様々な紛争・・例えば旧ユーゴスラビアのような・・に介入する力を強めていくと思います。

モンテ・リーチ(ML):
国連は、ソマリアに対して行ったように、流血を避けるために旧ユーゴスラビアのような国内の問題に対してもっと関わるようにすべきだと思いますか?

ベンジャミン・クレーム(BC):
非常にそう思います。国連には果たすべき明確な役割があります。私は国連とヨーロッパ諸国がクロアチアとボスニアで起こった身内の殺戮行為を傍観していたことに深い憤りを感じます。あの残虐行為は国連がもっと積極的な態度を取っていれば防ぐことができたものです。国連とヨーロッパ諸国は紛争の開始時からそこにいて、セルビア人に独立問題や少数民族問題などについて平和的な解決案を提案し、それを受け入れさせるべきだったのです。これらの問題は国連との関係の中で話し合われるべきです。それが国連の役割です。国連はそれを掌握して現実のものとしなければならないのに、大変な好機を逃しました。

モンテ・リーチ(ML):
シェア・インターナショナル誌には、世界中で中央政府から地方政府への権力の移行が起こるだろうと述べられています。それは世界の様々な場所で起こりつつあると思いますか?またそうであれば、それは問題の地球規模化とそれを解決するための地球的アプローチの必要性にどのように一致しますか?

ベンジャミン・クレーム(BC):
それが起こりつつあるとは言いませんが、それは私たちが進むべき理想だとは言えるでしょう。政府の役割は国民が充分な食べ物、適切な住居、健康管理、教育などと共に平和に生きていけるような環境をつくることです。一つのイデオロギーを国民に押しつけることが政府の役割ではありません。しかし今まではそうでした。そのイデオロギーが共産主義であれ、民主主義、資本主義、ファシズムであれ。そのような時代は過去のものとなりました。私たちは今政治的教化と全体主義の終わりを目撃しています。国民の自由や自己発展や、自己決定の必要は、地方政府への参加を通して地域のレベルで実現されるべきです。国民が彼らの生活の出来事について国家的規模で影響を与える唯一の方法は、地方政府に影響を与えることです。国民が実際に参加できるレベルの政府が必要なのです。

いわゆる民主主義国家に住むほとんどの国民は地方と国の代表を選挙で選びます。しかし国民が本当に地域レベルで参加しているなら、彼らの必要は地域的に満たされえます。国家政府は地方行政に干渉すべきではありません。ここで答を提供してくれるのは少なくとも理論的には、地域の日常の出来事の管理には口を出したがらないという点で、より保守的な政府です。しかし実際には、政治的な理由によって、その反対の傾向が現れています。イギリスでは、現在の保守党政府は今世紀で最も中央集権的な政府です。地方政府はそのほとんどあらゆる行動を中央政府によって規制されています。地方政府はそれ自体ではまったく存在せず、参加もありません。参加なしには、自己決定もあり得ません。自分がどのように生きるかを決定する、真の自由としての自己決定、自己表現は本当の意味で世界のどこにも存在しません。

モンテ・リーチ(ML):
参加が未来の政治構造にとっての鍵となりますか?

ベンジャミン・クレーム(BC):
それは不可欠なものだと思います。それなしには自由は存在しません。自由は参加に依存しています。国を運営していくのに専門家だけが必要なのではありません。地域の出来事を運営するのに専門家は必要ありません。国民自身が住居、健康管理、教育などのためにどういう政府が必要かを知っています。国家政府の役割は、他の国家との関係の中で国体としてのまとまりを保ち、防衛、輸送、国家全体の福利の管理、そしてそのようにして地方政府が地域の人々の潜在力を発揮させる仕事を行うことのできる環境をつくり出すことです。

モンテ・リーチ(ML):
人々の自己決定、参加、そして政治的自由への増大する要求を満たすために、来たるべき時代に異なったタイプの政治構造が発達するでしょうか?

ベンジャミン・クレーム(BC):
私たちは強いられた‘共産主義’の終わりを目撃しています。私は真の共産主義が試されたことはかつてなかったと思います。ソ連に存在したのは国家資本主義の形態です。当然国民はそれに反対しました。なぜなら彼らは一握りの共産党のエリート達が主人となり、他の誰よりも贅沢な暮らしをしているのを知ったからです。民衆はそれを妬み、それが終わったのを大いに喜びました。彼らは多様性のない退屈で色彩のない生活環境に閉じ込められていました。生活には色彩と多様性が必要です。彼らはそれを持っていず、エリツィン氏の統治下でもそれを持つことはできないでしょう。彼は西洋で失敗した、市場のフォースに基づく政策を強いています。

私たちは旧ソ連においても反映されるであろう大きな経済危機の真っ直中にあります。ロシアの人民はいまや市場経済に苦痛を感じています。至るところの人々と同じように、彼らは自分達の生命感を表現する自由を求めていますが、それを得ていません。共産主義と同じく資本主義を通じてもそれを得ることはできないでしょう。それは資本主義と共産主義の最良の部分を組み合わせることによってのみ可能です。つまり、全体としての共同体に属するものは共同体全体によって所有、管理され、個人に属するものはその人の能力を最大限に発展させるために個人の私的事業に委ねられる社会民主主義または民主的社会主義であり、二つのうちのどちらかではなく、これら二つの融合です。

モンテ・リーチ(ML):
バツラフ・ハベル氏のように、政治家ではない人が権力を持つようになるでしょうか?彼は劇作家でしたがチェコスロバキアの大統領に就任しました。

ベンジャミン・クレーム(BC):
そのようになるでしょう。そもそも民衆の指導者は職業政治家ではない人々からみつかるのです。民衆は巨大な潜在能力を持っていますがその可能性を表現する機会を与えられてきませんでした。地域レベルにおいてあらゆる種類の人々・・芸術家、作家、主婦、教師、技術者、劇作家など・・が全体としての民衆のために語ることができるような充分に開かれた機構をつくり出すことができれば、人々の要求は表現を与えられるでしょう。議会政治においては、政治、経済に関する法律が定められ、人々の要求が国家的規模で表現を与えられるでしょう。地方と国家、二層の政府が必要です。両方とも不可欠です。一方が他方よりも重要であるということはありません。

モンテ・リーチ(ML):
現在の出来事の嵐が止むのはいつでしょうか?

ベンジャミン・クレーム(BC):
私たちは危機点に近づいています。非常にもうすぐ危機はその頂点に達し、大団円を迎えるでしょう。その強烈な危機的状況の中から新しい社会が、全く新しい、より霊的なアイディアに基づいた人類の新しい生活が出現するでしょう。