テーブルに現れた手形
編集長様

2017年10月中旬、いつもの朝の祈りをサイババの写真の前で行っていると、私は写真横のテーブルの上に手形があるのに気がつきました。最初、私はほこりを払う時に自分の手をテーブルについたのかと思いましたが、ほこりを払うことはしていないことを思い出しました。私は一人暮らしなので、他の誰も手形をつけられません。いずれにせよ、その手はとても優雅で繊細であり長い指先を持っていましたので、私の手形ではありません。その手形は私のテーブルに現れ続けま
した。私はこれが祝福であり、永遠の慰め、愛と平和であると眺めるたびに思います。

アメリカ、ジョージア州アトランタ
K.P.さん

続きは「国際月刊誌シェア・インターナショナルWEB版」へ